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2期へPlayBack

カウンセラー関連

5月の歓迎キャンプは瀬戸の定光寺で行なわれた。

歓キャンの内容はほとんど覚えていないが、キャンプファイヤーでは

長屋氏(2chan)

山口氏(ダメオさん)

小出氏(プリンスさん)

今井氏(女性:バーヤさん)

…がそれぞれ「得意技」を披露してくれたのが印象的であった。その他には、春日井サブチーフ、高樋氏(順ちゃん)、看護婦の河村さんが見えた。

最終日に「株主総会」でキャンプネームが決定した。それぞれ個性的で、いわく付きのキャンプネームが付けられ、30年後の今日では二代目、三代目のキャンプネームもあるようである。

名古屋での研修は、主に北青年の家や瑞穂青年の家、科学館で行なわれた。職員スタッフが山から降りてきて、キャンプ関連、ゲームソング関連、カウンセリング、御嶽の自然…など全体研修が行なわれた。

新入生のカウンセラーの会員は、班編成された班に編入され、各班ごとに班研修が行なわれた。各班の対抗意識は当然あったが、連携もそれなりに取れており、合同の研修キャンプを独自に行なった。よく行った鈴鹿山系のキャンプ場には、それぞれ班研修キャンプの思い出がある。

また、誰かの下宿先で研修合宿なども行なわれ、夜を明かして討論・議論をしたことが懐かしい。

同じ大学の、ただ単に学生生活だけの付き合いだけでしかなかった学友とは違い、こういった研修の積み重ねが互いを深く知ることになり、御嶽キャンプの仲間は、30年経った今日でも深い絆で結ばれている。

2期生が初めて御嶽休暇村に行ったのは、本番前に行なわれた2期生のみのトレキャンであった。1期生は2期生のトレキャンを横目に、ワークキャンプを優雅(そうに見えた…)に行なっていた。

トレキャンの内容は、精神的にも肉体的にも大変苦しいものであった。
各班ごとに、整列報告を事の始めと終わりに行い、遅いとダッシュなどの罰があった。全てのプログラムは時間に追われ、遅れると全員に罰が与えられた。また、毎回3食、野外炊飯の食事となり、薪は意図的に濡れた状態で配布され、新聞紙を使うことは許されず、時間に追われながら、飯もおかずも半煮え状態のものを、腹に押し込む状態が続いた。更に、夜中に非常(非情!?)呼集をかけられ(当然ダッシュ集合・遅いと罰)、災害事故想定の救急訓練が行なわれた。
 今はどんなトレキャンを行なっているのだろうか。

昭和49年ワークキャンプ 本キャンでは、キャンパーと一緒に食事をすることが、コミュニケーションをとる条件に挙げられ苦慮したこともあった。しかし、本キャンは、カウンセラー全員が自分の持てるものの全てをぶつけることができ、充実した夏を過ごすことができた。
一年目は職員もみんな必死であったが、トレキャンのようなピリピリムードではなく、表方・裏方・職員全員が一丸となって、それぞれのキャンパーに対応して、キャンパーニーズに応えようとする姿は大変尊く、この経験は何物にも代え難いものとなった。
私たちの社会人としての基盤が、ここで出来たと言っても過言ではない。

撤収キャンプは、長屋組、山口組、小出組の「親分衆」の下に分かれて行なわれ、最後は水かけ合戦で全員がずぶぬれになり終了した。

また、最後の御嶽登山と2期生のファイナルファイヤーの感動は、26年経った今も、色あせていない。